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ブリミアさんと私の関係(前編)

  • mamikoouchi
  • 10月12日
  • 読了時間: 7分

ブリミア(過食嘔吐)―― 長いあいだ、私の中に住みついていた“悪魔”。


今となれば昔の話だけれど、やっぱり話すには少し勇気がいるトピックです。

だけど今日はそのことを、少しだけ書こうと思います。


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ブリミア(過食嘔吐)だった私。

日本では今でも、「痩せている=可愛い」「細い=綺麗」という価値観が、無意識の層にまで染み込んでいると感じます。もはや、日本人のDNAに刻み込まれているのではないかと思うほどです。


私は1980年生まれ。いわゆる“安室ちゃん世代”。

あの頃の私は、まさにその価値観の中で生きていました。


ぽっちゃりしていたわけでもないのに、いつも「もっと細くならなきゃ」と思っていた。

そして、たしか16歳ごろ。食べ盛りなのに、食べるとすぐ太ってしまう。そんな焦りから、食べては吐く生活が少しずつ始まり――気づけば、その癖は32歳くらいまで続いていました。


ほんとに長〜い付き合いだったなぁと思います。そしてよく抜け出せたなと。


ブリミアのつらさは、実際に経験した人にしかわからない。

ネットには情報があふれているので、ここであえて詳しく語るつもりはありません。


ただこのブログで伝えたいのは、「どんなに苦しかったか」ではなく、どうやって自分を受け入れ、ちゃんと生きられるようになったか――その過程を通して、私という人間を少しでも知ってもらえたらと思っています。


そしてもうひとつ。ブリミアやボディイメージで悩んでいる人へ伝えたいこと。

程度の差こそあれ、きっと同じように悩んでいる人はたくさんいるはず。

この文章を通して伝えたいのは、同じように苦しんだり、悩んだりしている誰かへ――

あなたは一人じゃない、ということ。


最近、なぜかそんなことをよく思い出すようになって。この経験は、きっと誰かの役に立つかもしれない――

そう思って、今こうして書いています。



ニュージーランド時代

ブリミアさんとの出会いは、16歳くらいの時でしょうか。まだ日本にいた時で、最初はその正体もよくわかりませんでした。


本格的にブリミアと付き合いだしたのは、18歳でニュージーランドに留学して少し経った頃です。

ホームステイがどうしても合わなくて、無理を言って「グラーニーフラット」という小さなスタジオを借りて、一人暮らしを始めました。

ネズミが出るような、ちょっと汚い部屋だったけど、私にとっては初めて“自由”を手にした場所でした。

誰にも干渉されない、自分だけの空間。あの時の解放感は、今でも鮮明に覚えています。

でも、その“自由”は、思ったよりも早く“孤独”に変わりました。人目を気にせず、なんでもできる。それは自由のようでいて、実はとても危うい状況だったなと思います。


プレッツェルとダイエットコークだけが常食でした。

そして、たまに信じられないほど食べては、全部吐いてしまう。そんな生活を、何年も続けてました。


発作が出るたびに近くのBP(ガソリンスタンド)に走って、ショーケースのパイやペーストリーを全部買い込んで。レジで「パーティでもするの?」って聞かれて、笑ってごまかす、そんな状況。。。。


ごはん5合にパスタ、食パン1ローフ。そして締めにインスタントラーメンを流し込み、吐きやすくするために3リットルのアイスクリームで終わらせる。

味も、食感も、もうどうでもよくて。とにかく、お腹をいっぱいにして吐きたい。ただ、それだけでした。

吐けなくて、スプーンが喉に引っかかって取れなくなったこともありました。

「このままスプーン引っ掛けて死んだら、超かっこ悪いな」なんて思いながら救急車を呼びそうになったこともありましたよ。今思えば、よく生き延びたなと思います。



ブリミアの根っこ

ブリミアは、母との関係や、満たされなかった愛情を抱える人のもとに現れる――そんなふうに言われています。そして、それは本当にその通りだと思います。(母との関係については、ひとつ前のブログに少し書いているので、よかったら読んでみてくださいね。)


「痩せていなくちゃいけない」という思い込みの裏には、母に理解してもらえなかった寂しさや、相談できなかった心の痛みが隠れていました。


食べて、吐き出すことでしか、心のバランスを保てなかったんだと思います。

留学中のストレスや将来への不安、「ダメな自分」だと決めつけていた自己否定。すべてがぐちゃぐちゃに混ざり合っていました。


英語もろくに話せない。かわいくもない。細くもない。留学しても、未来が見えない。そんな自信のなさと焦りの中で、ずっともがいていたんですよね。



救ってくれたのは「愛」と「丁寧な暮らし」

25歳のとき、前の旦那に出会ったことで、ブリミアさんは不思議とスッと姿を消しました。


前の旦那とは、いろいろありました(笑)でもある意味、私の小さな世界を広げてくれた人であり、彼なしでは、今の私はいなかったと思います。


彼を通して出会ったのは、さまざまな体型や肌の色を持つ、自由でインターナショナルな人たち。お金や美貌に縛られず、自分らしく生きている人々でした。そんな人たちと過ごすうちに、「可愛い」とか「痩せている」とか、そんなことばかりに囚われていた自分が、どれだけ小さな世界で戦っていたのかに気づかされました。


細いかどうかより、どんな時間を仲間と過ごすか。どんな場所へ旅をして、どんな景色に心を動かされるか。

そちらのほうがずっと魅力的な人生だ、ということを彼との時間の中で少しずつ学んでいったように思います。


そして、ブリミアの特効薬は、「愛されること」と「自分を愛すること」。


そう、“自己肯定感”。


彼からの愛が、私の中に初めてその芽を育ててくれたのだと思います。

男の人に初めて、「すっぴんのほうがかわいいよ」と言われたこと。髪を染めず、何も飾らない“そのままの髪の毛”でいてほしいと頼まれたこと。抱きしめたときに、柔らかい脂肪があったほうが気持ちいいと言われたこと。

これまで“モテるため”に頑張ってきた自分は、一体なんだったんだろう。

それは衝撃的だったけれど、今思えば、私にとってとても大切で、必要な経験でした。


そしてもうひとつの心のリハビリは、「丁寧に暮らすこと」。

ルーティンを持つこと。料理をすること。


長男を産んでから、ほぼ毎日自炊をするようになりました。当初は車の運転もできなかったので、毎日ストローラーを押しながら、片道30分かけてスーパーへ通っていました。


まだスマホも今のように普及していなかった時代。

日記をつけたり、写真を撮って現像したり、アルバムを作ったりして過ごしていました。


お金がなかったからこそ、家族のために工夫しながら、毎日ごはんを作るようになりました。

そのとき初めて、「暮らす」ということ、そして「なぜ食べるのか」を理解した気がします。


暮らすということは、生きること。食べることは、体をつくること。命をつなぐこと。


ひとつひとつの食材に感謝しながら台所に立つ時間が、私を少しずつ優しくしてくれたのだと思います。

長男を産むまでの、未熟だった自分。そんな当たり前のことさえ知らず、食べ物をひどく扱っていた自分が恥ずかしくなりました。そしてもう二度と、ブリミアさんとわ関わりたくない、お別れしようと、心に決めたのでした。


そして再会(再発)

しかしながら、そんな穏やかな生活も、8年ほどで終わりました。前旦那と別居することになり、またブリミアさんが現れ始めたのです。お酒も増え、体はガリガリ、顔はいつも浮腫んでいました。


でも、そのとき私には守るものが二人いました。息子と娘です。

この二人に食べさせなければならなかったことと、ワンオペでフルタイム勤務だったことが、逆に幸いしました。ブリミアさんの誘発が来ても、スルーせざるを得ない瞬間が多く、そのことが少しずつ私を現実に引き戻してくれたのかもしれません。


この続きは、また後半で書こうかな。

最後まで読んでくれた人、いるかな? もし読んでくれたら、右下のハートで教えてください♡

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